HISTORY
HANAPEUPEU CACAO BAR 誕生秘話
カカオバー開発者の三浦隆典がカカオに出逢うきっかけになった
スマトラ大津波10周年追悼式典飛び入りプロジェクトの立ち上げ発足。
大津波の被害を受けた現地で、十年後に当たる2014年12月26日
追悼式典が開催されると知り、
波乗りを通じて現地との交流が御縁が⻑年にあり、
第二の故郷と思っていた御縁の深い地で起きた津波が切っ掛けで、
金品などの物質的支援以外に何か出来る事がないかと、
ずっと模索していたので、
急遽、思い付きで飛び入り参加する決意をし、
勢いだけで日本中のアーティストから
僕のイメージに合いそうな方々に声掛けして、
奇跡的に集まって頂けたメンバーと
ミニアースデイ的なエコ&アートイベントを開催し、
現地関係者から好評価して戴けた後に、
燃え尽き抜け殻のように途方に暮れていた時に、
現地で偶然必然的に導かれてカカオと珈琲豆に同時期に出逢う。
たまたま誘われた現地観光促進イベントで
日本の支援で立ち上げられた工房の御当地チョコを発見してしまい、
すぐさまバイクで直接出向き交渉し
譲って頂いたカカオと珈琲豆を日本に持ち帰り、
最初は軽の箱バンで寝泊まりしながら行く宛なく
手探りで徘徊しはじめ、カカオの紹介と
無料のコーヒー焙煎ワークショップからはじまり、
何故か成り行きで焙煎音ライブ&カカオでの
エナジーボール作りワークショップに少しづつ進化し、
辿り着いたハナププ式珈琲&カカオセレモニーで全国規模で
毎年半年以上掛けて150件くらい徘徊するまでに至りました。
珈琲セレモニーは⽣カカオを皮ごと食すところから。
ワークショップは乳鉢で摺り潰して、蜂蜜や⿊糖、
スパイスやドライフルーツを混ぜエナジーボールにしたりと、
試行錯誤で5年経過。
次第に珈琲セレモニーが大好評で忙しくなり過ぎて、
カカオのワークショップや紹介までおこなう余裕がなくなり、
⽣カカオの輸入も規制が厳しくなる中で、
素晴らしいポテンシャルを秘めた物であることを全国を巡って
ライブで体感する事が出来た
ハナププのカカオを効率よく楽しむ方法として、
現在の程よく焙煎してチョコレートの滑らかさになるまで
じっくり機械で挽いて固めただけのカカオバーが誕⽣し、
さらに改良を続け2年が経過し本製品となりました。
現地チョコレート工房のボスに初対面した時に、
いきなりチョコレートじゃなく⽣のカカオをくれという要望に
「こんなもの誰が食うんだ?」
とクレイジーな奴が来たと呆れられつつも、
日本の支援で夢が実現した御縁の工房だったこともあり、
時間を掛けて根気よく付き合いを重ねて、なんとか説得して
懲りずに試作し続けて頂き、完成させる事が出来たものです。
現地チョコレート工房オーナーの想い
もともと私は普通のカカオ農家でした。
農⺠が⽣産するカカオ豆が仲買業者に
安く買い取られている事に⻑年疑問を感じて、
2003年から自⼒でカカオの加工販売をしていましたが、
その翌年にスマトラの地震が起きてから
5年後の2009年に日本の国際支援団体から復興自立支援協⼒があり、
チョコレート工房を立ち上げる為の支援を受けて
私たちはトレーニングを受ける為に
ジャワ島のスラバヤに送られて、コーヒー&ココア研修センターで
チョコレートの加工について学んで独立開業、
2011年にはインターナショナルカカオアワードの審査員であり、
カカオハンターで有名な
小方真弓さんを招いてカカオの発酵を学ばさせて頂きました。